英国のEU離脱から考える:(1)新自由主義の終わりと「反主流の政治」

英国のEU離脱、いわゆる"Brexit"が国民投票で決まってから3週間が経ちました。国民投票がこのような結果となった原因と今後の展開についてはすでに分析が一巡しており、またこの間に英国の政治状況も激動していて、門外漢の僕が加えることはありません。ここではもう少し長期的な視座に立って、Brexitが意味することとは何か考えたいと思います。

この30年の歴史の話から始めましょう。1980年代以降の西側先進国の政治においては、国や時期によって濃淡はあるものの、ずっと新自由主義新保守主義のモードが支配的だったといえるでしょう。保守政権では、「小さな政府」を標榜した80年代のレーガンサッチャー、中曽根に始まり、小泉、サルコジ、そしてもちろん、冷戦後の世界に民主主義の理念を「輸出」すると唱えて、中東に軍事的に介入したブッシュ父子。

一方で、左派・リベラルもそれに引っ張られる形で、社会的公正に目配りしつつ、公共サービスの民営化による効率重視とグローバル化を志向する路線を採用します。ブレア、クリントンシュレーダーなどの「新しい中道」「第三の道」などがそれです。1992年のEUの創設と単一市場の完成、99年のユーロ導入など、EUの統合の深化の歩みはこうした政治的潮流と無関係ではありません。また、日本の民主党政権も、特に鳩山・菅時代は基本的にこの路線を目指していたと思います。

これに対し、新自由主義グローバル資本主義を批判する運動もずっとあって、一方では移民排斥を訴える「新右翼」と呼ばれる極右政党がヨーロッパ各国に出現します。他方では1999年にシアトルでWTO会合を中止に追い込んだ抗議活動に代表されるように、市民団体・NGOが主役となり、デモと直接行動を旨とする「新しい社会運動」が活発化します。しかし、2000年代前半まではまだ、このような左右からの批判が継続的な支持を集めるには至りませんでした。

潮目が変わったのは、一つはイラク戦争の泥沼化、もう一つは2008年の金融危機、そして中国・ロシアの野心的な外交政策も加えてもいいかもしれません。これらを契機として、米国の覇権が傾くとともに、格差の拡大が新自由主義的な市場重視の帰結だという感じ方が先進国の多くで広がりました。

この状況は各国で路上での運動に多くの人を集めることになりました。アラブの春、スペインの15M、日本の反原発、米国のオキュパイは全部2011年に起こっています。台湾のひまわり学生運動、香港の雨傘運動、日本のSEALDsもこの延長線上にあるといっていいと思います。 一方、在特会をはじめとする「行動する保守」の出現は、極右側もまたデモを主軸に運動を組み立てるスタイルを採用し始めたことを意味します。欧米でもこのような極右側の路上での運動は歴史があると思いますが、その歴史については僕はよく知りません。最近では、ドイツのPEGIDAなどが注目を集めていますね。

路上での運動に呼応する形で、政治の世界でもより大きな変革を求める主張が目立つようになります。そして、それまで過激とみなされてきた発言に予想外の注目が集まるようになります。

スペインでは反緊縮を掲げて2014年に結成された新興政党ポデモスが躍進し、英国では時代遅れの極左と思われていたコービンが熱烈な支持を得て労働党党首に選ばれました。米国でもサンダースがオキュパイ運動の"We are the 99%"の叫びを引き継ぎ、富の偏在を批判して、民主党の大統領予備選で大きな存在感を発揮しました。彼らに共通するのは、「経済を一部の大企業や金融機関に独占させるのではなく、私たち99%の手に取り戻そう」というメッセージが、いわゆる「ミレニアル世代」と呼ばれる学生や若者たちを中心に共感を呼んでいる点にあります。

一方で、マリーヌ・ルペン率いるフランスの国民戦線やドイツの新興政党「ドイツのための選択肢」など極右政党が、移民危機を背景にヨーロッパ各国で党勢を拡大しつつあります。米国では草の根運動として始まったティーパーティーが連邦議会に議員を送り込むようになり、さらに不法移民に対する強硬な入国管理政策を主張するトランプが共和党の大統領選で旋風を巻き起こして候補指名を勝ち取りました。そして英国の国民投票でも、前ロンドン市長ボリス・ジョンソンやUKIP党首のファラージらが、移民の増加、分担金の負担、そしてEU官僚主義に対する不満を語って、離脱派を勝利へと導きました。彼らのスローガンが「Take back control(コントロールを取り戻そう)」であったことを示唆的です。

左派と右派。政治的な立場は真逆なのに、これらの運動はある点において奇妙な一致を見せています。すなわち

  • 市場の自由を謳う新自由主義と、越境の自由を謳うグローバリズムを強く批判し、それらが私たちのものを不当に奪い、生活を苦しめる元凶であると名指しすること。
  • 主流の「まっとう」な政治、体制エリートが主導し大企業が支持する政治に対して、自らを非主流、周縁に位置づけ、それゆえに、誰もが心の中でうすうす感じていながら口にするのをはばかってきた「不都合な真実」を、利害関係に縛られることなく、歯に衣着せず発言することができるんだとアピールすること。
  • 体制、エリート、金持ち、知識人、既成権力に対して反乱を起こそう。彼らが独占してきた利権を打破し、決定権を自分たちの手に取り戻そう。彼らは理屈ばかりこねるけれど、私たちの痛みと怒りをわかっちゃいない。庶民の身体感覚、生活感覚と直結した政治を実現しよう。と訴えること。

このような大衆の情動に働きかける「反主流の政治」はポピュリズム反知性主義といった烙印を押されながらも急速に先進国の政治を飲み込みつつあります。英国の国民投票の結果は、「主流の政治」の敗北と、30年間、先進国を覆ってきた新自由主義グローバル資本主義の結合を基調とする政治のモードの終焉を象徴しているように思います。