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英国のEU離脱から考える:(2)レファレンダムの落とし穴

この投稿は前回の投稿の続きです。

wrinkles.hatenablog.com

前回は、先進国に共通する現象として、新自由主義グローバリズムを推進する体制エリートに強く反発する「反主流の政治」が影響力を拡大したこと、英国のEU離脱はそれを象徴する事件であったことを述べました。

ここでさらに指摘したいのは、国民投票住民投票(以下「レファレンダム」と呼ぶことにします)や、路上での運動のような直接民主主義的な手法が、「反主流の政治」と相性がよいことです。議会は体制エリートの巣窟であり、路上と投票にこそ人々のむきだしの意思が体現される、と彼らは考えるためです。SNSまとめサイトなどの発達によって、人々の動員はより容易になり、一人ひとりの抱える不満を拾い集めてまとまって可視化することもできるようになりました。

また「反主流の政治」に共感しない人であっても、レファレンダムによって、有権者の意思を直接政治に反映できるのは良いことだと考える人も多いかもしれません。それに対し、以下ではレファレンダムを実施するにあたっての「落とし穴」がどこにあるか、考えていきます。

先に断っておくと、僕は、英国でEU離脱派が勝ってしまうようなシステムはおかしい、と言いたいのでありません。EU離脱支持が多数を占める結果に、ポピュリズムに煽られて愚かな選択をした、という見方もあるようですが、僕はそれには与しません。確かに英国がEUを脱退することは、英国にとってもEUにとっても損が大きいように見えますが、どちらが国民の利益にかなった選択だったかは歴史が証明するのを待つしかないと思います。

ここで考えたいのは、“Brexit”に固有の事情ではなく、より一般に、政治的共同体がレファレンダムを実施しようとする際に留意すべき陥穽は何か、ということです。われわれが英国の国民投票から学べることを3つ、挙げたいと思います。

一つは、レファレンダムが表す民意が不安定なものであるにもかかわらず、その不安定さに不釣り合いな強い政治的正統性が与えられてしまうことです。キャメロンは国民が残留を選ぶと見込み、国民投票の付与する強大な正統性によって反主流派を抑えこみ、政権の求心力を高める算段だったと見られています。しかし、それは危険な賭けであり、結果として彼は賭けに敗れることになりました。しかし、たとえば投票日が1ヶ月前だったら、あるいは1ヶ月後だったら、結果は逆になっていたかもしれません。

状況の変化や突発的な事件に左右されやすい投票結果を、公共的な議論と熟慮がなされた結果としての民意をどのくらい同一視すべきところか、難しいところです。そもそも英国の有権者数は4650万人、国民投票の投票総数は3350万票とされており、このような規模で熟議による市民の意見形成を期待するのは無理でしょう。直接民主主義を議会制民主主義に優先させる政治においては、メディア戦略とマーケティングが大きな影響力を発揮することになることが想像されます。もっとも議会政治に重点が置かれれば、陳情活動、ロビイングがものをいうことになるわけですから、どちらがマシかは微妙なところです。

二点目として、レファレンダムでは政治家を選択するのではなく、イシューへの賛否を選択することになるので、一方の立場が選択されたとしても、それを推進してきた政治家が公約の実現にコミットする責任が弱くなります。英国では、離脱派の中心人物と目されたファラージがUKIP党首を辞任して一線を退くことになり、物議を醸しましたが、これはわかりやすい事例です。

また、公約の実現に対する責任が弱いため、根拠が薄弱でも都合の良いことを投票前に言って支持を拡大するインセンティブが強く働きます。たとえば、離脱派はEUを離脱すれば「巨額の分担金を国民医療サービスの充実にまわせる」とか「移民の流入を食い止められる」と主張していましたが、ボリス・ジョンソンやファラージはこれらの主張を投票翌日に撤回して人々を唖然とさせました。

明らかなデマについては事実の誤りをいちいち指摘することで、ある程度は対処できるかもしれません。しかし、物理的に不可能ではないが政治的に現実味がない無責任な約束を封じ込めることは困難です。「そんなことは現実的には不可能だ」という批判は、既成の政治の常識に挑戦することを看板に掲げる者にとってはむしろ追い風になってしまうからです。

三点目として、レファレンダムは社会の中の分断を過剰に可視化してしまうことが挙げられます。選挙区ごとに報告される投票結果は年齢、教育水準、所得水準、失業率、外国人比率などの住民の人口構成や出口調査とも引きあわせて、デモグラフィックな分析の対象となります。メディアはその分析をグラフやインフォグラフィックなどを使ってわかりやすい形で提示します。

英国の国民投票を見ても、大都市部とスコットランド北アイルランドでは残留派が多数を占めたのに対して、イングランドウェールズの地方部で離脱派が勝利するなど、明白な地域差が見られました。また高齢者ほど、教育水準が低いほど、移民が少ない地域ほど、離脱を支持したと言われています。*1

f:id:eyebw:20160720212313p:plain (出典:Telegraph

しかし、この「わかりやすさ」をどの程度、真に受けるべきでしょうか。そもそも、このようなデータの取り扱いには統計学の知識が必要とされます。さらに、以下のような問題点があると考えられます。

いざ票を投じるにあたり、何が賢明な選択なのか、迷いがある有権者も多いでしょう。どちらの立場にも一定の理があり、また問題の規模が大きくて複雑なために賛否が分かれるようなイシューがレファレンダムにかけられるわけですから、有権者は明確な党派性を持っているのでない限り、難しい判断を迫られます。しかし、そのような迷いを投票行動で表現することはできません。参政権を行使したいと思うなら、自らの政治的な意見や利害のスペクトラムをYES/NOのどちらかに収斂させて、票を投じるほかないわけですが、そうした一票の集積が全体の結果にどのように反映されるかは未知数です。

レファレンダムの結果が政治的な意思決定として尊重されるべきなのは当然です。しかし、逆に言えば、あくまで政治的な意思決定のしくみであって、統計調査ではなく、調査の代替物として扱うなら相応の慎重さが求められます。実際には幅と揺らぎのある民意から、一人ひとりの有権者の択一の結果として現れる数字が、地域、人種、階層、世代等の違いによる分断を過度に強調し、あたかも本質的で乗り越えられない溝が存在するかのような印象を与えてしまうとしたら、それは好ましいことではありません。

レファレンダムによる直接民主主義は、一見、とても明快で透明性の高い手法のようなので、技術と費用が許すなら望ましいと考える人も多いかもしれません。しかしその実、危うさとある種の政治性を秘めていることは以上で見たとおりです。政治的な意思決定の手段として否定はしないものの、実施にあたっては議会制政治とは異なる注意が必要とされることは間違いないと思います。

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