映画 “Hidden Figures” から考える、差別とは何か

f:id:eyebw:20170709222441j:plain 先日、邦題が話題になった映画 “Hidden Figures” を飛行機内で見ました。とても良い映画だと思いましたよ。 (邦題が話題になった件は以下の記事が詳しいです)

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“Hidden Figures” は、1950〜60年代の米国の有人宇宙飛行計画「マーキュリー計画」の中で、3人の黒人女性数学者が、人種差別、女性差別を乗り越えて活躍する姿を描いた作品です。はっきり言って演出はベタなんですが、きちんとツボを押さえていて、予備知識がなくても要所要所で胸を打つ物語に仕上がっています。その上で「差別とは何か」というテーマを掘り下げて描いているところが、この作品の素晴らしいところです。

1950〜60年代といえば、米国は公民権運動の時代。当時、職場、交通機関、料理店など公共のあらゆる場で白人と黒人を分離する人種隔離(いわゆる Jim Crow 制度)は、「分離すれども平等」という原則のもと、人種差別にあたらないと正当化されていました。

主人公たちの働くバージニア州にあるNASAの研究所でも、白人技術者たちの職場と、“Colored computers” と呼ばれる黒人女性計算係たちが働く西地区計算部門の建物は離れています。そして、前者には白人専用のトイレが、後者には黒人専用のトイレが設置されています。

主人公の一人、Katherine は優秀さを認められ、西地区計算部門からマーキュリー計画を担う「宇宙任務グループ」の一員に抜擢されます。しかし、宇宙任務グループの入居する建物には白人用のトイレしかないので、彼女は用を足すために半マイル(800メートル)離れた西地区までいちいち行かなくてはなりません。そのような事情を知らない上司は、一日に何度も長時間離席していったい何をしているのか、と彼女を問い詰めます。

Dorothy は子どもたちを連れて町の図書館に出かけます。もちろん、図書館も白人用と黒人用の区画に分けられています。研究所に新設されたIBMの計算機を使えるようになりたいと考えた彼女が、白人用の区画にしか置いていないプログラミングの本をめくっていると、「ここはあなたのいるべき場所ではない」と職員に咎められ、追い出されてしまいます。

Mary は周囲に励まされ、NASAのエンジニアに昇進したいと考えます。NASAのエンジニアとして採用されるためには、大学院で数学と物理を学び、学位を取得する必要がありました。彼女はバージニア大学の夜間課程に通うことにしますが、一つ問題がありました。夜間課程が開講される Hampton 高校は白人専用の高校で、そこに通った黒人は今までいなかったのです。

「差別」と聞くと、暴力、蔑視、いやがらせ、といった悪意の表出を想起しがちです。しかし、たとえそういうものがなかったとしても、差別は制度や慣習などの形で社会に構造的に埋め込まれているのだ、ということをこの作品を示しています。このような差別は、たとえ目の前にあってもなかなか気づくことができません。それは私たちが(しばしば差別される側さえも)差別を内面化してしまうためです。

このような見えにくい差別のもとで、マイノリティは不利益を強いられます。そしてその不公平さを前に諦めたり、余分に努力してマジョリティと同等に、あるいはそれ以上に能力を証明できなかったりすると、「ほら、やはり彼らは劣っているのだ」と指さされることになるのです。なぜなら、マジョリティは自らの特権に都合よく目をつぶり、あたかも対等な条件のもとで競争しているかのように考えたがるからです。自分たちにとって有利なルールが設定されているなんて、思いもよらないことなのです。

今を生きる私たちの目にはとてもグロテスクに映る人種隔離を、たった60年前の人々の多くはごく当然のこととして受け入れていたことに驚かされます。この時代の多くの米国人にとって、白人と黒人が同じトイレを使ったり、同じコーヒーポットからコーヒーを飲むことは、ものすごく不自然なことでした。

ここまで書けば、この作品が60年前の事実にもとづく物語であると同時に、現代に通ずる問題意識を備えていることをお分かりいただけるのではないでしょうか。女性、障害者、LGBT、移民など、さまざまなマイノリティがグロテスクな差別に今も直面しており、そしてマジョリティはそんな現実を無自覚に容認しているのです。「かわいそうだけど、しかたないよ」「前例がありません」「それを変えるためにルールを破ったり、過激なことをするのはちょっとねえ…」という〈常識〉で自らの差別意識に蓋をして。

物語の終盤、Dorothy と西地区計算部門を監督する白人女性 Mrs Mitchell がトイレで会話を交わす象徴的なシーンがあります。Dorothy は実質的に西地区計算部門をとりしきる立場にあったことから、管理職に昇進したい、と何度も Mrs Mitchell に頼んできましたが、「今は忙しい時期だから」と断られ続けてきた、という経緯があります。 Mrs Mitchell は Dorothy にこう言います。

「私はあなたたち黒人女性を差別するつもりはないの。今までだってあなたたちのために力を尽くしてきた」

Drothy はこう返します。

「わかっていますよ。あなたがそう思い込んでるってことは」

この記事では、人種差別に焦点を当てて、映画 “Hidden Figures” を読み解きましたが、他にも

  • 理系分野(米国ではよく、科学・技術・工学・数学を総称してSTEMという言葉が使われます)における女性の representation

  • 革新的な技術(作中ではIBMの計算機、現代なら人工知能)が自分の仕事を代替してしまうときにどう対応するか

といった現代につながる視点も用意されています。このあたりについては、IBMがこの映画の宣伝のために作った一連の動画が面白いのですが、映画鑑賞後にごらんになったほうが良いかもしれませんね。

日本では『ドリーム』というタイトルで9月29日公開だそうです。ぜひ劇場でごらんください。

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